マルクス・トゥッリウス・キケロー『デーイオタルス王弁護』註釈



はじめに:註釈の目的と使用法

 この註釈は一通り初歩が終わって,基本的な体系的文法として中級文法を習得中の段階を想定して,通常の注釈なら自明として触れられない基礎的文法事項をなるべく詳しく付けて,体系的文法知識を習得する手助けになるようにしました.学習者の方々には,この註釈を読むのと同時に,平行して体系的文法書(G-Lなど(参考文献参照))を参照されることをお薦めします.語形については,ある程度の推量は可能であるという前提で書いていますが,もし,語形で躓くことがあれば,Clark(参考文献参照)によって,取りあえず形を探し出すことは出来ます(ただし,そのような問題ある場合は,語形の復習したほうが,最終的には効率がいいと思います).一部の註は,中級の学習レベルを超えてしまうかもしれません.そう思ったものは灰色のフォントで区別しています.

 この語彙・註釈は,再配布などは御遠慮下さい.これはしばらくは未完成の状態で,また読者の意見を還元しつつ,一定の完成度に達するまでアップデートを繰り返すためです.

 この註釈には,作成者の様々な能力的制約のために不十分な点が多数,避けがたく存在しています.多数のラテン語に通じておられる方々の御意見を聞かせていただけることを期待しつつ,できればこの註釈と同じ目的の註釈書を,より優れた研究者の方々に,もっと良い形で作っていただきたく思い,恥を忍びつつ公開することにしました.



1 註釈

Cum ... tum ... : 「...であると同時に...である」「...かつ...」で,後の要素が強調される(それに対して,両方を際立たせる時はtam ... quam を用いる).文の構成要素同士でも,文同士でも繋ぐことができ,文章同士の場合は直説法が普通だが,譲歩・理由の意味を持つ時などは接続法を取ることがある(G-L 588.2).

gravioribus: 「より重要な」比較の対象は記されていないが,「普通よりも」と理解する.

ita multa me perturbant ..., ut ... timor detrahat: 「恐怖が...を取り除くほどに,多くの事が私をそれほどに混乱させている」この場合のut+接続法は結果文(G-L 552特にR.3).itaは,普通形容詞にかかるが,ここではmultaにはかからず,直接動詞perturbantにかかる.

initio dicendi: 「話し始めの際」initioの奪格は時の奪格.cf. initio orationis 弁論の最初に

quantum ... studi ... tantum facultatis:「熱意の量と ... 同じ程の能力の量」studi, facultatisは共に部分の属格(G-L 369).

mea fides: 「私の(デーイオタルス王に対する)忠義」B.C.51年,キリキア総督だったキケローは王の支援を受けている.

ad salutem regis Deiotari defendendam: = ut salutem regis Deiotari defendam.ad + 動名詞・動形容詞は目的「……のため」を意味する(G-L 432).直訳すると「王デーイオタルスの生命を守るために」.これは殆どsalutemを使わない言い回しad regem Deiotarum defendendum「王デイオタルスを弁護するために」と同じ.

adferat: この接続法はdetrahatの接続法に牽引されている.

detrahat: 上のita multa me perturbant ..., ut ... timor detrahatの註参照.

primum:「最初に」この後,2 deinde「ついで」につながる.

quod ipsum etsi: 接続詞はラテン語では必ずしも冒頭にはおかれない.この場合は,関係代名詞が,先行詞との関係をはっきりさせるために,etsiの前に来ている.この関係代名詞quodは,前の文章全体をややルーズに受け,「命と財産の為に弁護をしていること」を指す.quodは,純粋に文法的には,dico pro capite fortunisque regis「私は王の生命と財産の為に発言をしている」を指すことになるが,続く部分で「少なくとも貴方の(暗殺の)危機においては不当ではない」と「王が死刑の被告となっていることは異例である」と言われている事から,実際にはquodが指していることは,「カエサル暗殺を試みた者が死刑の被告となっていること」であると推測できる.しかし,キケローは,ここでは恐らく必ずしも常に厳密に論を進めているわけではなく,このquodはルーズに前の文の内容を指しており(つまりregisを除いたdico pro capite fortunisque),quod以下の発言そのもので(特にGotoffが指摘しているregemu reumのalliterationに注意),そのように理解させようとしたと思われる.cf. Gotoff ad loc. "Presumably the awkwardness or ambiguity we notice would be resolved in presentation".

in tuo dumtaxat periculo: 被告デーイオタルス王はカエサル暗殺の嫌疑をかけられている.この部分は「貴方(カエサル)が殺されようとした,という状況に限っては」という意味.dumtaxatがpericuloの直前におかれることで,暗殺されようとしたことに特に強く限定している.

est ita inusitatum regem reum capitis esse: 主語は対格付き不定法のregem reum capitis esse「王が死刑の被告であること」.

reum capitis: capitisは罪科の属格(G-L 378).

ita inusitatum ..., ut ... non sit auditum: 「聞かれた事がないほど,異例のことである」itaはここではinusitatumにかかっている.ita ... ut+接続法は結果文(G-L 552特にR.3).

2 註釈

deinde: 「次に」先に出ていたprimumを受ける.

alterius crudelitate, alterius indignitate: 前者は告発した王の孫Castorの残忍さ,後者は王のカエサル暗殺の計画の証人となった王自身の奴隷である医者Phidippusの不適切さ.

eum regem, quem ... : eum は関係代名詞quemのかかる名詞を明白にしている.

antea:「以前は」.後のnunc「今」と対比させている.

pro perpetuis eius in nostram rem publicam meritis: pro perpetuis ... meritisで,eius in nostram rem publicamが囲まれている.これは,ラテン語では,英語などとは異なり,前置詞句が直接名詞の後に来るような構造(例えばpro perpetuis meritis eius in nostram rem publicamなど)が嫌われるためである.このような時は,特に形容詞やそれが修飾する名詞などで囲む傾向がある.

accedit, ut ... : accedit, ut + 接続法(結果文.G-L 553.4)「加えて……ということがある,その上……である」

crudelem Castorem: この対格は文の中に入っていない.me miserum 「ああ,惨めな私!」などのように,感嘆の対格ととる(G-L 343).先のalterius crudelitateを受けている.

crudelem Castorem:γの伝える読み.OCTはここはcrudelis Castorという,他の有力写本(CVβ)にも伝わっている(他にはcrudelis Castor est(C2AH))読みを採用しているが,次でみるように,ne dicam のあとにsceleratum et impiumと対格が来ているため,ここでは対格のcrudelem Castoremが正しい(同じ見解はGotoff ad loc.).crudelis Castorは,感嘆の対格が理解できなかった写字生が書き替えたものと考えられる.

ne dicam ... : 「……とは言わないまでも」この語法では,ne dicamの後は,前に上げた要素と同じ格の名詞が来る(e.g. Crudelis fuisti, ne dicam sceleratus (crudelisにあわせてsceleratusも主格)).一見似た表現で,ut non dicamもあるが,これは「……については語らないでおこう」の意味(=ut omittam).どちらも,前後の文章と時制や法の一致などを生じない(R-H 231.β3).

qui ... adduxerit ... intulerit ... duxerit ... impulerit ... abduxerit: 関係文の中に接続法完了が用いられているのは,この関係文が理由の意味を持っているため.「というのも,その彼は……であるから」このような場合,しばしばut, quippe, praesertimなど,理由の意味を加える副詞もよく使われる(G-L 626).

qui nepos avum: neposは,quiの先行詞crudelem castoremの同格で,このような場合には関係文中に取り込まれるのが文法規則(G-L 616.2 つまり,crudelem Castorem, nepotem qui avum ... には普通ならない)だが,ここでは更にneposとavumが並べられ,「孫であるのに祖父を」の対比をつくり出している.

cuius senectutem tueri et tegere debebat:「その老年を見守り庇護しなければならなかったのに」debebatの未完了過去は,過去の非現実「しなければならなかったのにしなかった」の意味(G-L 254.R.2).この後に,それとは全く逆に生命を奪おうと告訴したことが対比されて強調される.

commendationem ineuntis aetatis: commendatioは「推薦」の意味だが,ここでは「御墨付き,保証」の意味.iniens aetasは,ローマでの独立した成人の地位を持つ年令で,26歳.

ab impietate et ab scelere: abはこの場合,「……から」の意味.

avi servum corruptum praemiis: 「褒美で篭絡させた祖父の奴隷を」=「祖父の奴隷を褒美で篭絡させて」この奴隷は,後で名前が出てくる医者Phidippus.

ad accusandum dominum impulerit: 「主人を告発するように焚き付けた」

a legatorum pedibus: Phidippusは王がローマに派遣した使者に含まれており,またその中で最低の地位であった.ここではpedibusはpedisequus「徒歩で付き従う奴隷」をさし(Gotoff ad loc.),それによってより軽蔑的な色合いが濃くされている.ひょっとするとpedibusとPhidippusの語呂あわせがあるのかもしれない.どちらにせよ,pedisequoやservoを使わず,pedibusとすることでよりPhidippusの身分の卑しさを強めている.「使者達の中の屑から」ぐらいの意味.もちろん,これによってPhidippusの証言が信用に耐えるものではないことを印象づけている.

3 註釈

fugitivi: この属格はかなり離れてosとverbaにかかる.つまり,fugitibi ... rei publicaeまで,cum節の一部が,cumの前に出て来ている.

autem: sed「しかし」とは異なり,弱い対立をあらわす接続詞.「一方」程度の意味.また,文頭に現れず,この例のように,2番目の要素として現れる(G-L 484).

dominum accusantis, et dominum absentem, et dominum amicissimum ... : accusantisはfugitiviを修飾する現在分詞.dominumはaccusantisに支配される目的語.このdominumは,dominum absentem,dominum amicissimum ... と,修飾語句により説明を加えて繰り返されている(このように,ある種の共通の構造が3回繰り替えされるものをtricolonという).

amicissimum nostrae rei publicae: amicusとその最上級amicissimumは属格も与格も取りうる.比較級amiciorは与格のみ)

cum ... videbam, cum ... audiebam, ... extimescebam: 「……を見る度に,……を聞く度に,恐れを抱く」 繰り返しのcum (cum iterativum).cumが直接法と用いられている場合は,cum節の動詞と,主文の動詞は同時に起っていることを示す(cum+接続法の時は,時間の場合はcumの中のほうが先に起っている)が,その際に,未完了過去や現在の場合,一回限りの行為ではなく,繰り返される行為であることがある(G-L 584, R-H 253.2).

non tam ... quam ... : 「……というよりは,むしろ……」

de fortunis communibus extimescebam: 「公共の運命のために危惧を抱く」de abl.と,対格では意味が異なる(hostes extimescebam「敵を恐れていた」). この動詞のように,恐怖を意味する動詞,例えばtimere, metuere「恐れる」は,与格または(この場合のように)de+奪格と結びつく時は,「……の為に恐れる」,すなわち,そのものの為に気づかいをする,心配をするという意味になる.一方,これらの動詞が対格を取る場合には,そのもの自体を恐れるという意味になる (G-L 346 N.2).つまり,canem timeo「犬を恐れる」cani/de cane timeo「犬を気づかう」

nam cum more maiorum ... exortus est servus, ... : 奴隷の主人の有罪・無罪の証言は,主人の許可を得て尋問された.拷問によって奴隷から聞き出すことを禁じた,という父祖伝来の習慣(mos maiorum)は,背後に,奴隷が主人を陥れるなどということは,奴隷のわきまえとして,絶対にあってはならいという,モラル上の金科玉条があったことを意味する.つまり,例え実際に主人が悪事を行っていたとしても,それを奴隷が言うなどということは共和国の道徳前提に反するという考えがこの習慣にあった(Strenge ad loc.).実際には,主人の許可があれば尋問することが可能ではあった.これについて詳しくはGotoff ad loc.参照.

nam: 理由をあらわす接続詞.enimと異なり,文頭に来る(G-L 498).

cum ... liceat: cum節は,ここでは譲歩をあらわす(G-L 587).「……にもかかわらず」

more maiorum: 「先祖(伝来)の習慣では」方法の奪格(ablativus modi, G-L 399).

ne ... quidem: 「決して……ない」

tormentis ... in qua quaestione ... : 関係代名詞quaの先行詞はtormentisだが,これにquaestioneが同格説明としてつき,これは規則により(G-L 616.2),その内容が関係文の中に取り込まれ,これに関係代名詞が一致している.「拷問……,それにおいては……である尋問方法」

etiam: 「……すら」位置は自由だが,通常強調する語の前(G-L 478).

quem in eculeo appellare non posset: possetの接続法は,非現実の接続法.in eculeoに譲歩の意味が隠されている(quem, si in eculeo esset, ... appellare non posset).

eum: 先行する関係代名詞quemの先行詞.

servus, qui ... eum accuset: 「彼を告発するような奴隷」このように,関係代名詞の中で接続法が用いられることで,「……するような」という意味があらわされることができる.この接続法は結果文のそれで,servusにはtalis「このような」の意味が付される(G-L 631).

4 註釈

illud: 「かの事」周知の事を指す場合には,illeが用いられる.この場合はカエサルが理解してくれるであろうことを指している.これは後に出てくるnam dicere apud eum ... 以下を指している.

quod: 関係代名詞だが,殆ど非制限的用法.

cum te penitus recognovi: 「貴方の事を深く理解する度に」cum節の中に完了形(現在完了・過去完了・未来完了)が来る場合,繰り返しのcum (cum iterativum)となる.主文は現在,未完了過去,未来になる.つまり,ある事の後にある事が起る,ということが繰り返し起るような時に使われる.G-L 567, R-H 253.2.

re: =re vera「実際は」観点・限定の奪格(G-L 397)で,慣用句化している(re veraも).

enim: 理由の接続詞.namと違って,文頭に置かれず,後置されることに注意(G-L 498).

tua sapientia: 理由の奪格(G-L 408)「貴方の聡明さのために」.

nam: 理由の接続詞.文頭に置かれる(G-L 498).

apud: 「……の目の前で」

dicere apud eum de facinore: これが続くgrave estの主語となる.

contra cuius vitam consilium facinoris inisse arguare: cuiusの先行詞はeum.arguareはarguoの2人称単数接続法受動現在で,この2人称は,話し相手をさしながら実際には人物一般を意味し,訳出しない(K-S 653, Anmerk. e).「その生命に対する悪事の計画をしたと告発された(ところのその人(つまり狙われた人))」日本語にするには,この関係代名詞は工夫して訳出しなければならない.「ある人の生命に対して悪事を計画したと告発された時,生命を狙われたその人の面前で……」(上村ad loc.『生命を狙ったとして告発されている当の相手を前にして』は誤解を招く訳)

consilium ... inisse: consilium inire「計画をする」 inisse はinireの不定法完了で,inisseがarguareよりも以前に起ったことを意味する.

cum per se ipsum consideres: 「それ自体を考えるなら」2人称単数も,上のように人物一般.このcum節はほとんど条件文化している(H-Sz 620).

per se ipsum:「それ自体」

enim: 上で出て来たように,後置される.

nemo, ... qui sui periculi iudex ... : 上で見たように,先行詞の同格的説明は,関係代名詞が続く時,関係文の中に取り込まれる(G-L 616.2).

se aequorem ... praebeat: se praebeoは殆どsumと同じ.つまり,non sibi se aequorem quam reo praebeat = non sibi aequor quam reo sit.

hunc mihi metum minuit: mihiは利害の与格.「私のために恐怖を減じてくれた」 mihiの位置は,mihi metum minuit はalliterationのためでもあり,またhunc ... metumが「私」に属しているためでもある.

non enim tam timeo ... , quam intellego ... :「なぜなら,……を恐れているというよりも,むしろ……を理解している」「なぜなら,……を恐れている度合いよりも,むしろ……を理解している度合いのほうが大きいからである」

quid tu de rege Deiotaro: この間接疑問文は完全な形ではないが,後ろのquid de te ceteros velis iudicareから,動詞を補う.すなわち,quid tu de rege Deiotaro velis iudicare「貴方がデーイオタルス王をどのように裁きたいか」.

quid de te ceteros velis iudicare: 「貴方が,貴方について,他の人にどのように判断を下して欲しいか」voloは,対格付き不定法も取りうる(G-L 532).

5 註釈

tantam causam, quanta ... : 「……であるほど,それほどの裁判を」

causam dicere:「裁判を行う」=causam agere

nulla umquam in disceptatione: umquam は「かつて」だが,殆ど否定文で用いられる.この場合はnullaの否定と結びついている.「かつていかなる論議にも……しない」

intra parietes: 「壁の中で」=「室内で」.通常の裁判は,今日とは違って,フォルム(広場)で,ローマの大衆の前で行われていた.今日とは違って,裁判における弁論は,裁判の構成要素でありながら,大衆の娯楽的要素の一つでもあった.

dico intra ... dico extra ... : 明確な対比が意図されている.

eam: 関係代名詞節in qua ... に照応している.

in tuis oculis, in tuo ore vultuque adquiesco: 「あなたの眼,あなたの口と顔に,私は安心している」背後には,カエサルに対して安心していられること自体も,続く部分で述べられるように,気持ちを奮い立たせるような弁論には向かない,という繋がりをここに読む事ができる.カエサルにある意味おべっかを使いながら,しかしそれはあまり自分のいつもの方策に向かないことをしめしているのかもしれない.しかし,まるで恋人に向かって語りかけるような言葉には,不自然さを感じる.Gotoffは"admittedly a somewhat cold comfort"(ad loc.)として,この不自然さを弁護したいようだが,in tuis oculis, in tuo ore vultuqueのtricolonは十分に感情的で,cool comfortとは言えない.Ciceroが本当に強調したいのは観客なしにカエサル一人だけという以上な状況での弁論のこと,つまりte unum intueor, ad te unum omnis spectat oratioだが,そこに至る前に適度にカエサルへのおべっかを埋め込もうとした際に,必ずしも上手くバランスがとれないながらも,tricolonによって修辞的にはバランスのとれた一文を埋め草に入れた,ということなのかもしれない.

in tuis oculis ... adquiesco: adquiesco はin+奪格と結びついて,「……に安心する」という意味になる.

te unum intueor, ad te unum omnis spectat oratio: dico extra conventum et eam frequentiam と逆の状況が述べられている.

ad te unum omnis spectat oratio: ここではspectatは「……に向かっている,向けられている」という意味.cf. Cic. Phil. 7. 26 Quorsum haec omnis spectat oratio?「この弁論全体は何処に向かっているのか」, Tusc. 1. 60, Att. 8. 2. 4, Hort. fr. 57.

mihi: gravissimaと共に,利害の与格でもあり得るし,obtinendae veritatis の行為者の与格とも考えられる.

spem obtinendae veritatis: 「真実を証明することの希望に対しては」

ad motum animi: キケロー自身の気持ちの高揚ともとれるし,聴き手の高揚ともとれるが,続く2つが話者に関することなので,前者の可能性のほうが高い.

ad omnem impetum dicendi contentionemque: impetumとcontentionemは,恐らく二詞一意(hendiadyoin G-L 698)で,「弁論の激しさと争い」=「弁論の激しい争い」,つまり「激しい論戦」.

leviora: もちろんsuntを補う.gravissimaとはややつり合いの悪い対比だが,levissima「全く役に立たない」とするわけには行かないため,levioraは適切である.比較の対象は明記されていないが,ここでは大衆を前にした通常の弁論と比較されている.

6 註釈

hanc enim ... si ... dicerem ..., quantam ... adferret! : 現在の非現実をあらわす仮定文(G-L 597).

eodem audiente et disceptante te: 「同じ貴方が聴き手かつ裁判官であっても」譲歩を意味する独立分詞構文.eodem ... teに,分詞二つがはさまれているchiastic orderに注意.

ei regi non faveret: favereは与格を取る(G-L 346).eiは続く関係代名詞cuius omnem ... を受けている.

cuius ... meminisset: 「その全人生がローマ国民のための戦争に費やされたのを(市民が)覚えているというのに」meminissetは,譲歩の接続法(Gotoffは理由と解釈している)で,主語はcivisで,対格付き不定法omnem aetatem ... consumptam esseを支配.

spectarem ... testarer ipsum: 「私が議事堂を見,フォルムを眺め,さらに天そのものを証人にしていたら」現在の非現実をあらわす接続法未完了過去が使われているが,文法的にはルーズなもの.ここでは続く文のsicによって,現在の非現実の仮定の従属文になっていると考える.

sic, cum ... beneficia recordarer, nullo modo mihi deesse posset oratio: 「もしそうであったなら,……好意を思い出し,決して私に弁論が失敗することはありえないでしょうに」上の註で述べた通りに,これは非現実の仮定文の前文の役目をはたし,cum 以下が帰結文となる.cumの中の時制も,そのために牽引されて非現実現在をあらわす接続法未完了過去になっている.通常の構文にするなら,cum ... beneficia recordor, nullo modo mihi deesse potest oratio.「恩恵を思い起こす時,その事によって,私に決して弁論が失敗することはあり得ません」となり,このcumはcum identicum (cum explicativum) 「……する時,それによって」となる(G-L 582).

et deorum immortalium et populi Romani et senatus beneficia: 3つ以上のものをつなぐ場合,A B C,A et B et C,et A et B et C,A B Cqueのみが普通のつなぎ方(R-H 223.2).

7 註釈

1 quae: 中性の関係代名詞は,先に語られた内容を指しうる.この場合はルーズに,先に語られた,もし現時点の環境でなければ可能であった弁論のもっていた可能性.

quae ... angustiora parietes faciunt: facereは二重の対格を取り,「……を……にする」という意味になる(G-L 340).

quoniam: quoniamは理由をあらわすが,cumと違って通常直説法を取る(G-L 540).

tuum est: 「貴方の義務である」(G-L 366.R.3)

quid mihi nunc animi sit: quid ... animi「どのような(quid)気持ちであるか」=qui animus.quid animiのような形は,主格と対格のみ可能.他はcui animo etc.になる.(G-L 369).mihiは所有の与格(G-L 349).

2 sed:「だが」「さて」sedは新しいテーマに以降する際にも使われる.

ante quam ... dico, ... pauca dicam: 未来(あるいは未来に相当する接続法など)の帰結文に対しては,ante quamの中には現在が使われる(G-L 575).

3 qui cum videantur ..., tamen ... venerunt: quiの先行詞はaccusatorumで,この関係代名詞は理由文.このquiはcum節の中のvideanturの主語で,このcum節は,帰結文にtamenが入っていることからわかるように,譲歩文(G-L 587, R.1も).

neque ingenio neque usu atque exercitatione rerum: 通常否定の中で幾つかの要素がつながれる場合,nequeを繰り返すが,ここではusuとexercitationeは,nequeではなくatqueでつながれている.これはusu atque exercitationeが二つの名詞による一つの概念を意味している(二詞一意 hendiadyoin G-L 698)で,この場合「経験による訓練」「実践的訓練」という意味になる(Gotoff ad loc.).rerumは,ここでは「訴訟の」を意味する(Gotoffのように,埋め草と考える必要はない).

non sine aliqua spe et cogitatione: 「なんらかの希望と思惑を持って」non sine は,否定が重なることで肯定(cum)になるだけでなく,その肯定が強められるlitotes (G-L 700).spe et cogitationeは,二詞一意というわけではなく(Gotoff ad loc. "almost a hendiadys"),別々の語ととるべき.spesは論理を伴わない希望で,cogitationeは論理的思惑.

8 註釈

1 iratum te regi Deiotaro fuisse: irasciは与格を取る(G-L 346).fuisseの完了不定法はnon erant nesciiの時点の以前に属するため.

non erant nescii: 「知らないどころではなかった」「よく知っていた」これもlitotes(G-L 700).

2 adfectum illum quibusdam incommodis et detrimentis: afficereはある物事を被る人や物を対格,内容を奪格(道具の奪格 G-L 401)であらわす.cf. affici vulnere「傷を受ける」.これ自体はmeminerantに支配されている受動の完了不定法で,esseが省略されている.

propter: 理由をあらわす前置詞.

meminerant: meminiは完了形で現在の意味なので,この過去完了形は,未完了過去あるいは完了と同等である.

4 quodcumque: 写本はquodque (αγ)とcumque (β)に別れている.どちらも理由文になるが,「貴方のところで貴方の危険について語っているので,害された心にはでっち上げた罪は容易に根付く」というのは適切な因果関係があるようには思われない.また,quodqueにしろ,cumqueにしろ,先のtequeとの対比は余り意味が無い上,通常の散文の文法規則では,並列文で-queが使われる場合は,-queは最後の要素にのみ使われる.おそらく,ここのquodqueとcumqueは,両方ともquodcumqueのcorruptしたものと考えるのが一番自然であろう.つまり,「貴方自身の前で,貴方の危険について,いかなることを語ろうとも,害された心にはでっち上げた罪は容易に根付く」となり,自然な文章になる.その前のtequeの-queは,non erant nescii,meminerant,cognoverantという,告発者の認識していた3つの事の最後の要素(cognoverant)につけられたものであろう.

quodcumque ... dicerent, fore putabant, ut ... : 「何を言おうとも,... となるだろうと思った」quicumqueとquisquis節の中では,通常直説法のみが用いられるが,この場合はputabantに支配されている不定法fore ... , ut ...にかかるために,接続法となっている(H-Sz 562).

fore, ut ... : fore=futurum esseで,fieriの未来の不定法.fit, ut+接続法(結果文 G-L 553.3)は殆どut内の動詞を未来形にしたものの言い換え.つまり,fore putabant, ut in exulcerato animo facile fictum crimen insideret =putabant in exulcerato animo facile fictum crimen insessurum esse.

5 quam ob rem: 「こうした事から」=qua de causa

hoc nos ... metu ... libera: 「この恐れから,我々を解放せよ」分離の奪格(G-L 390.2).liberareは,ただし具体的な物や人から解放することを意味する時にはabを使う.

per fidem et constantiam et clementiam tuam: 「貴方の忠誠と忠義と慈悲にかけて」oro「お願いする」などの動詞が省略された挿入句と考える.続くper dexteram istam te oroを参照.

6 quam regi Deiotaro hospes hospiti porrexisti: 「賓客として,賓客であるデーイオタルス王に差し伸べた(右手)」すなわち,「賓客同士のしるしとして差し出した(右手)」

dexteram non tam in bellis neque in proeliis quam in promissis et fide firmiorem: tamが使われていながら,最後に形容詞の原級でなく,比較級firmioremが来ているのは,文法的破格(anacolyton G-L 697).途中で構文の変化がおこったと考えられる.この構文の変化の理由の一つは,firmioremで−U−Uのtrochaicに終わらせたかったということもあるかもしれない.

non tam in bellis neque in proeliis: 通常,否定される要素が二つならぶ場合は,nequeでつながれる.極めて稀にetでつながれることもあるが,殆ど詩の例外的場合とhendiadyoinで2つの要素が一つの意味であると認められる場合(cf. 7.3 neque ingenio neque usu atque exercitatione rerumとその註).

domum inire: 通常,建物などに物理的に「入る」場合には,intrare, ingredi, introireなどが用いられる(Menge Synonymik 82).この場合は,例外的に「入る」の意味を認めることができるが,ひょっとすると物理的な「入る」よりは「家に客として入る」の意味が強いのかもしれない.

9 註釈

1 orari ... exorari: 同じ響きを用いる事で(paronomasia),cum ... tum ...の対比をさらに強めている.

2 qui ullas resedisse in te simultatis reliquas senserit: 「なんらかの敵対心の残りが貴方の中に居座ったと(後で)知ったような(者)」qui以下は結果文に相当する関係節(「……ような」).過去に対しては,同時であれば未完了過去,以前であれば過去完了の接続法がくるが,この場合,主文のplacavitの後に起った,現在の状態に対する結果なので,接続法完了となっている(G-L 513).resedisseの完了不定法はsenseritに対してそれ以前を示す.文意は従って,後になってから不利益を被り,あの時にはまだ怒りが残っていたことを知るなどということがない,という意味.

3 quamquam: この場合は独立して,「それにもかかわらず」の意味(G-L 605.R.2)

cum Deiotaro querelae tuae: tuaeは主語的属格.cum Deiotaroはquerelaeにかかる.このような構造はラテン語は比較的避ける傾向があるが(tuae cum Deiotaro querelaeのような形が普通)が,おそらく−U−−U−のclausuraを得るためにこのようにしたと思われる.

4 officio parum functum: fungiは道具の奪格を取る(G-L 407).

quod ... fuisset: 通常quodが理由で使われる場合は直説法が普通だが,この場合は,話者の理由ではなく,カエサルの理由なので,部分的間接話法の接続法になっている(G-L 541).

5 cui tamen ... te daturum fuisse dicebas, si tum ... misisset, ipse ... usus esset: 間接話法の中で,非現実の仮定文が用いられている(G-L 597.R.4).間接話法から取り出した形はcui tamen ... dedisses, si tum ... misisset, ipse ... usus esset. 非現実の間接話法では,si-節の中の動詞はそのままで,主文の動詞は回説的変化をもちいる(現在の非現実の場合はdaturum esse,過去の非現実の場合はdaturum fuisse).なお,dicebasの主語と対格主語が同じでも,通常は対格主語は省略されない(G-L 527.R.3).

10 註釈

1 cum ... liberares: cum+接続法未完了過去は,歴史的cumで,主文は同時に起っている付随的な状況を意味する(これに対して直接法の場合は純粋に時間的.G-L 585,詳しくはK-S 2,345 Anmerk.1, 2を参照).

maximis ... rebus liberares: maximis rebusは分離の奪格(G-L 390).

2 non solum ... non ..., sed: 「...しなかったばかりか,...さえする」

liberavisti, agnovisti, reliquisti: トリコロン(tricolon).

3 odio tui: 「あなたに対する憎悪」tuiは目的語的属格(G-L 364.N.2).

progressus: estを補う.progressusの意味は2通り考えられる.
 a.カエサルに対して軍を進めたこと(この時はodio tuiは「憎しみが原因で」).事実関係では正しい.
 b.度を超えた行動をしたこと(odio tuiは「あなたに対する憎悪の点で」),つまり「憎しみの余り度を超えたことをした」(cf. Gl歡klich 該当箇所.こちらはlapsus estとの対比の点では上手く合う.
 翻訳ではaで解釈している.上村はbで翻訳している.OLDのprogrediorの項は,意味の分類が不十分.

errore communi lapsus est: 「共通の過ちによって失敗をした」=「共通の過ちに陥った」communi erroreの奪格は原因の奪格.communi「共通の」は,nobis communis「我々ローマ人と同じ」という意味であることは,続く文から明らかになる.

4 is rex, quem ... : isはquemのかかる名詞を明確化している.

quem ... appellavisset, quique ... duxisset: 2つ以上の関係代名詞が並列される場合,もしそれが対等の要素なら-queやetで繋がれ(この場合のように),そうでない場合,つまりどちらかが従属的である場合は,繋ぎはつけない(複数の関係節が関わる規則についてはK-S 2,323-7を参照).この接続法は理由の接続法(cf.Gotoff ad loc.).

ab adulescentia: 「青年期から」.通常adulescentiaは少年期と盛年期の間の,14-30歳.上村の「幼少期」は少し早過ぎ.

homo longinquus et alienigena: 「遠方の,異民族の生まれにもかかわらず」.譲歩が文脈から読み取られる.

quibus nos ... versati: quibusはisdem rebusにかかる.この関係文は動詞を欠いているが,主文からperturbati sumusを補う.



注釈の一番上に戻る

ブログに戻る